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日本サルトル学会会報第69号 [会報]

研究例会のご案内

 下記の通り、第48回研究例会を対面ハイフレックス(=ハイブリッド)で開催しますのでご連絡いたします。
 次回の研究例会は、中村督氏(南山大学)による研究発表を予定しております。
 登録フォームを用意しましたので、参加ご希望の方は下記 URL より12月17日(金)21:00(日本時間)までにご登録をお願いいたします。
 当学会では非会員の方の聴講を歓迎いたします(無料)。多くの方のご参加をお待ちしております。

第48回研究例会

日時:2021年12月18日(土) 16 :00 ~ 17 :30
場所: 対面ハイフレックス(=ハイブリッド)開催
   立教大学池袋キャンパス A 202 教室
※フランスからの参加も想定し、午後遅くからの開催となっております。ご注意ください。

【プログラム】
16:00 冒頭挨拶
16:05 研究発表:中村 督(南山大学)
「戦後フランスにおける知識人史の再検討—『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』におけるサルトルの位置と機能について」
司会:  竹本 研史(法政大学)

全体討論

17:30 休憩
17:40  近況報告・情報交換会

※会員の方で、対面で参加をご希望の方は澤田直代表理事までメールにてご連絡ください(今回は、勝手ながら対面の対象を会員に限らせていただきます)。会員の方には会員向けのMLで別途連絡をいたします。

※今回は、対面ハイフレックス(=ハイブリッド)開催のため懇親会は行いませんが、総会終了後に、zoom上で簡単な近況報告および情報交換の場を設ける予定です。
参加登録フォーム URL :https://forms.gle/TtsPWB3a11PVegci7
QR_077835.png


※zoom開催に関する細かな注意は、こちらのフォームにてお知らせします。なおこのURLはサルトル学会のブログにも掲示いたします。そちらもご利用ください。


戦後フランスにおける知識人史の再検討—『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』におけるサルトルの位置と機能について

中村 督

 本報告の目的は、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』(以下『N.O.』と略記)においてサルトルがどのような役割を果たしてきたのかを考察することにある。1964年に創刊された『N.O.』は、フランスの代表的なニューズマガジンであり、長いあいだ「知識人の雑誌」として知られてきた。実際、創刊当初から『N.O.』は、多くの作家、哲学者、大学人らを結集させ、文字どおり「知識人の雑誌」になっていった。しかし、『N.O.』の歴史を振り返ると、サルトルはほかの知識人とは異なって特別な位置を占めていたことがわかる。本報告では、『N.O.』におけるこうしたサルトルの位置がどのように形成され、同誌の理念や方針に影響を及ぼしたのかを明らかにする。そのために具体的には以下を検討したい。
 第一は、サルトルが『N.O.』に創刊号以来、定期的に記事を寄稿してきたことの意義である。1960年代後半から1970年代にかけて、『N.O.』の中核を成す知識人(フランソワ・フュレ、ジャック・オズーフ、エドガール・モランら)を別にすれば、サルトルは多くの記事を掲載し、繰り返し表紙を飾った。この点を受けて、従来の研究では、『N.O.』はサルトルの緊急の発言をするときの場として好都合であったことが強調されてきた。他方、『N.O.』の側に視点を移すと、同誌の理念の表明から読者の獲得に至るまで、サルトルほど格好の人物はおらず、そのかぎりにおいては同誌がこの知識人を利用したという側面も無視することはできない。別言すれば、知識人とジャーナリズム、どちらかが優位な立場にあるわけではなく、両者の関係は一蓮托生であったと考えられる。
 第二に、サルトルの記事が『N.O.』の歴史にとって重要な局面で掲載されたことの作用である。たとえば、創刊号(「アリバイ」)や68年5月(「レイモン・アロンの城塞」、「1968年5月の新しい思想」)などは同誌の歴史が語れるときにかならず言及されるものである。また、同誌のサルトルの記事は、文化史的・社会史的文脈のなかでも俎上に載せられることが多く、結果的に同誌内部でこの知識人の集合的記憶が形成されていったことを指摘したい。
 第三は、上記と関連して、こうして『N.O.』で形成されたサルトルをめぐる集合的記憶が同誌に及ぼした影響である。1980年代以降、サルトルが亡くなり、知識人の終焉という言説が流布することで『N.O.』の「知識人の雑誌」という創刊の理念も揺らぐことになった。同誌は新たな理念を模索した結果、結局、当初の理念に立ち返ることになるが、そのさいに再びサルトルが重要な機能を果たすことになる。
 本報告では、最終的に、こうしたサルトルと『N.O.』の関係を考慮することで、知識人史の展開を逆照射する。知識人史の文脈では、一般的にいって1970年代にすでに「サルトルからフーコーへ」という変化が生じていたことが指摘されている(『N.O.』もまたその名のとおりの論集を出版している)。しかしながら、『N.O.』が再び創刊の理念を参照し、「知識人の雑誌」として再規定するのに重要な役割を演じたのはピエール・ブルデューであった。『N.O.』の歴史を踏まえれば、「サルトルからフーコーへ」という図式と同時に「サルトルからブルデューへ」という図式も成立しうることを提示したい。



2021年度国際サルトル学会年次大会(Le colloque annuel du Groupe d'Etudes sartriennes 2021)参加報告

関大聡

 2020年6月の国際サルトル学会はコロナウイルスによる感染拡大のために延期を繰り返し、結局2021年9月24日、25日に開催されることになった。オンライン、対面を両立したハイブリッド式の開催でもよかったのではないかと思うが、一名の発表がアメリカからオンラインで行なわれたのを除けば、従来通りの形式を尊重した形になる。結果として、事前予告された発表のうち二名(A. MatamatsashviliとJ. Ireland)の発表がとりやめになったのは、残念であるとともに、世界的に見ると依然として感染状況が予断を許さず、移動の不自由を強いられていることを確認させる。

 筆者は2017年度以降、毎年この大会に参加しており、参加報告を何度か上梓している(2018年(https://ajes.blog.so-net.ne.jp/2018-09-10)、2019年(https://ajes.blog.ss-blog.jp/2019-10-24)。2017年(https://ajes.blog.ss-blog.jp/2017-07-29)の報告は赤阪辰太郎氏による)。例年に比べると、(これもコロナの影響だが)参加者の数はやや少なかった印象がある。発表の統一テーマは複数あり、「サルトルの美学」、「サルトルと言語についてのアトリエ:パフォーマティヴ性、弁証法、構造」、「『自由への道』をめぐって」の三つと、その他自由発表にまとめられた。なお、この発表の枠組みはコロナウイルスの感染拡大前から決められていた。「サルトルと感染症」、「サルトルとロックダウン(コンフィヌマン)」、または「サルトル、眼差しと恥とマスク」みたいなテーマで話すひとがいてもよかったかもしれず、話を聞いてみると個人的に取り組んでいたひともいたようだが、学会は良くも悪くも平常運転で進められた。

 以下では、とくに興味をもったものを中心に発表内容を紹介したい(プログラムの全貌については学会HPのpdfを参照(http://ges-sartre.fr/pdf/Programme%20Colloque%20GES%2024%20et%2025%20sept%202021.pdf))。

 まず、一日目(9月24日)の午前中の「サルトルの美学」では、ふたつの発表が行なわれた。ソルボンヌ大学博士課程所属のジョルジア・テスタは、マラルメを読むサルトル/デリダに関する博士論文を準備中で、「不在の美学:マラルメの場合」というタイトルで発表した。サルトルの想像力論における「不在」の論点と、マラルメ論における「不在」の主題が結ばれた。興味深かったのは、サルトルとマラルメの間には、主題的に見てだけでなく、エクリチュールのレベルでも結びつきがあるのではないかという結論部での指摘で、あくまで示唆に留まるものだが、今後博士論文のなかでどのように展開されるか、期待をもって聞いていた。
 次の発表はハイナー・ヴィットマンによるもの。氏にはサルトルの美学に関するドイツ語の著作が複数あり、そのうち一点は『サルトルの美学』(ラルマタン、2001年)という題で仏訳されている。発表内容は1927年のイメージ論における空間の位置づけなどを手掛かりに、サルトルの美学の原点を探り、そこからティントレット論などでの空間性への着目を再解釈するものであった。1927年のイメージ論は、最近刊行されたばかりのテクストで、初期のサルトルの思索の出発点を示すものとして、多くの研究者の注目を集めている。私もそれを紹介する論文を一点日本語訳したことがあるので、よければ参照していただければと思う(ヴァンサン・ド・コールビテール「イメージ、身体と精神の間で サルトルの高等教育修了論文(https://resonances.jp/11/le-memoire-de-sartre/)」)。

 次に午後の発表だが、こちらは自由発表枠である。まずグレゴリー・コルマンが戯曲『墓場なき死者』と『恭しき娼婦』を扱った。1946年に初演されたこの二つの戯曲を手掛かりに、実存主義運動の最初期を再構成しようとする試みと言えるもので、すぐには呑み込むのが難しいほど豊かなものであった。ジャン・ヴァールによる劇評や、リュシアン・ゴルドマンによるサルトル演劇への批判などを取り上げながら、メルロ=ポンティやボーヴォワールも当時直面していたレジスタンスやヒロイズム、モラル、共同体の問いをそこに読みとろうとする氏の企てはここにまとめきれるものではない。これらの劇が、極限状況(situation-limite)における人間を問うだけでなく、実存主義そのものも極限にまで追いやる劇だった、という発表者によるまとめを紹介するに留めておきたい。
 ふたつ目の発表はクレモンティーヌ・フォール=ベレーシュによるもの(オンライン発表)。サルトルの父方と母方がカトリック、プロテスタントに分かれていることは自伝『言葉』などでも語られているとおりだが、その二つの傾向を作家における内的な緊張として追いかけるのが趣旨だと受け取った。同種の緊張を生きた先達としてジッドを取り上げることまで含め、私自身の関心にかなり類似しているので内心焦ったが、ともかく優れた発表であった。サルトル自身は無神論だが、この点との整合性をどう受け取るのかという会場からの問いについては、二十世紀初期(とくに20-30年代)の人々にとって、宗教は多くの場合、信仰の問題というよりも態度、主体性の構造の問題なのだと応答していたのは、非常に示唆的なものだと思われた。
 最後にピエール・リローによる、サルトルとパスカルの関係についての発表。発表者はパスカルが専門だが、サルトルの『青年期著作集』のパスカルへの言及から、『言葉』の初期テクストである『土地なしジャン』まで、マイナーな参照にもあたりながら、表面的な議論(実存主義の先駆者パスカル……)に留まらぬ見事な議論を展開しており、圧倒された。『土地なしジャン』が『言葉』になるに伴い、パスカルへの参照は薄まるそうだが、サルトル的文体とはまさにパスカル的文体なのだという著者の結論にも思わず頷かされるものがあった。

 二日目の午前は「サルトルと言語についてのアトリエ:パフォーマティヴ性、弁証法、構造」。このアトリエには筆者も参加させていただいた。出発点は2019年秋にリエージュで開催された会合で、若手の研究者の間で共通のテーマを設定し、議論と交流の場にしようというアイデアからだった。言語の問題をテーマにしたのは、各人が自分の関心から取り組める程度に開かれたテーマで、かつこの問題が複数の水準(サルトルの言語論、サルトルの言語実践、言語を介したサルトルの思考)に及ぶためである。やはりコロナの影響もあり、また発表者が世界各地に散らばっていたため、その後の会合は難航し、オンラインで各自の発表を検討しながら、苦心しつつ進められた。しかし、結果としてはかなり充実した、熱気の伝わるアトリエになったのではないかと思う。各人の発表時間は15分で、通常の発表時間より短く、関心の要諦しか伝えることはできなかったとはいえ、互いの発表を参照し合いながら、全体としてひとつの、たとえ網羅的ではなくとも、それこそ弁証法的に全体化を目指すような試みとなった。
 非常に短くだが、各人のテーマを掲げておこう。筆者(関)の発表では、『存在と無』の言語論を中心に、サルトルとジャン・ポーランの対比、また両者の共通した関心としての「言葉の力」の問題が扱われた。エステル・ドゥムーランは、サルトルと構造主義の間の論争(ポレミック)を再訪した。トマ・ボルマンはフローベール論『家の馬鹿息子』にフーコー(「ブルジョワジーがマルクスに対して築いた最後の防波堤」)への批判を見出した。クセノフォン・テネザキスは『弁証法的理性批判』における言語の地位を、同書における実践と惰性のめぐりあう場として描いた。アレクサンドル・フェロンは同じく『批判』を扱いながら、むしろそのエクリチュールの側面を扱い、長々しい文章で構成される同書を読むという経験そのものが弁証法的な経験なのだと指摘した。アリックス・ブファールは『批判』で扱われる言語経験として、「指令語mot d’ordre」と「スローガンslogan」の違いに注目し、いずれも集団の形成とその実践に関わるものでありながら、前者はより実践に、後者はより惰性に接近したものだという違いをまとめた。フェルナンダ・アルトは植民地支配における言語の問題を、サルトルとファノンの言語論を通して検討した。サルトル自身もまた植民地主義的心性を逃れるものではなく、またその点の自覚を通してしか克服はありえないだろう。
 若手で、各方面で活躍する面々との共同作業には、教えられるものが多かった。このワークショップの成果は本になるかもしれないので、あらためて全容をみなさんの前にお披露目する日が来ることを期待している。

 二日目午後、最後のテーマは「『自由への道』をめぐって」である。エレーヌ・バティ=ドラランドはドリュ・ラ・ロシェルやマルタン・デュ・ガールのような、今日ではあまり日の目の当たらない二十世紀前半の作家の再評価を行なっていて、今回の発表ではポール・ニザンとの友愛という観点から『自由への道』を再読した。同書のとりわけ第一巻『分別ざかり』、第二巻『猶予』は、ニザンとの友情だけでなく三十年代という時代に対する喪として読めるというのが発表の趣旨だったと思うが、澤田直氏の「小説家サルトル──全体化と廃墟としてのロマン」(『サルトル読本』所収)もなんとなく思い返しながら、小説の世界に入り込むことができた。
 次はジャック・ルカルムの発表で、『自由への道』の未完成性について。この老大家にはすでに同じテーマをめぐる重要な論考が存在するが、今回のタイトルはほとんど騙し絵のようなもので、氏が関心をもった対独協力問題(サルトルもその嫌疑をかけられた)や、同性愛の主題など、何にも制約されない自由な調子で話を繰り述べていた。テーマだけでなく時間的にも自由な発表だったため、不機嫌そうな次の発表者との間で板挟みにされた司会のアレクシ・シャボーの苦悶の表情が不憫でならなかったが、フランス語なら“causerie”と呼ぶような、氏のいわゆる四方山話は、いつものことながら筆者は好きである。
 最後の発表はジャン=フランソワ・ルエットによる『自由への道』の同時代受容についてのサーベイ。氏は最新の『サルトル研究』誌で『壁』の同時代受容についても調査しており、近年の関心はこの方面に向かっているらしい。新聞や雑誌などに発表された『自由への道』への反応には、大別すると五つの論点があると氏は言う。(1)サルトルのキャリアにおける位置づけ、(2)哲学と小説の関係、(3)登場人物の取り扱い、(4)同時性の技法、(5)言語実践。このうち、(2)、(3)、(5)を発表のなかでは扱い、当時の批評家や読書人が『自由への道』という巨大な著作にどう向き合ったのかを見事にまとめてみせた。

 来年のテーマは「サルトルとインターセクショナリティ」と「『家の馬鹿息子』」のふたつになるという。そのときまでには平常に戻った仕方で、とりわけ国外からの発表者を受け入れることができればよいと思う。日本からも発表者が参加してくれることをとても期待しています。(文責:関大聡)

サルトル関連文献

*著作
・ジャン‐ポール・サルトル『家の馬鹿息子 5 ギュスターヴ・フローベール論(1821年より1857年まで) 』 鈴木道彦・海老坂武(監訳)、黒川学・坂井由加里・澤田直訳、人文書院、2021年[12月刊行予定]。
・『竹内芳郎著作集』第1巻[サルトル哲学序説、実存的自由の冒険]閏月社、2021年。
・永井玲衣『水中の哲学者たち』晶文社、2021年。
・上野千鶴子『 NHK 100分 de 名著:ボーヴォワール『老い』』、NHK 出版、2021年。

サルトル関係イベント

第32回獨協国際フォーラム「アルベール・カミュ:生きることへの愛」開催のお知らせ
 12月3日(金)、4日(土)の2日間、第32回獨協インターナショナル・フォーラム「アルベール・カミュ:生きることへの愛」がオンライン開催されます(参加無料・要事前申込)。
詳細は以下のサイトをご覧ください。
https://www2.dokkyo.ac.jp/fre/camus/


理事会からのお知らせ

・日本サルトル学会では、研究発表・ワークショップ企画を随時募集しています。発表をご希望の方は、下記のメールアドレスにご連絡下さい。なお例会は例年7月と12月に開催しています。
・会報が住所違いで返送されてくるケースが増えています。会員の方で住所、メールアドレスが変更になった方は、学会事務局までご連絡ください。なお、会報はメールでもお送りしています。会報の郵送停止を希望される方は、事務局までご連絡ください。
以上


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日本サルトル学会会報第68号 [会報]

研究例会のご報告

 第47回研究例会を下記の通り、オンラインで開催しましたのでご報告いたします。
 今回の研究例会では、昨年(2020年)に法政大学出版局より刊行された、生方淳子著、ミシェル・コンタ序『戦場の哲学 ―「存在と無」に見るサルトルのレジスタンス』の合評会を、ハイデガー研究会との共催でおこないました。以下、報告文を掲載いたします。

第47回研究例会

日時:2021年7月10日(土) 15 :00 ~ 17 :50
場所: zoom によるオンライン開催

    司会:   谷口 佳津宏(南山大学、日本サルトル学会)
    発表者:  生方 淳子(国士舘大学、日本サルトル学会、著者)
    特定質問者:齋藤 元紀(高千穂大学、ハイデガー研究会)
          根木 昭英(獨協大学、日本サルトル学会)
          永野 潤(東京都立大学ほか、日本サルトル学会)

生方淳子著、ミシェル・コンタ序『戦場の哲学 ―「存在と無」に見るサルトルのレジスタンス』合評会 総評(司会者 谷口佳津宏)
 生方淳子氏がこの度公刊された『戦場の哲学 ―「存在と無」に見るサルトルのレジスタンス』は、サルトル研究の第一人者ミシェル・コンタ氏による2015年4月のニューヨーク大学における講演(本邦未紹介)を丁寧な解説を付したうえで翻訳紹介するとともに、その講演における「レジスタンスの書としての『存在と無』」という視点をふまえつつ、『存在と無』を対ナチズム,対ドイツ哲学(カント・ヘーゲル・フッサール・ハイデガー)という二つの戦線を舞台とした「戦場の哲学」として読むという統一的な視点から、これと真正面から取り組んだ本格的な論考であり、今後、『存在と無』を語る際には無視すること能わざる書物である。本合評会は、まず著者生方氏自身によるパワーポイントを使っての委細を尽くした本書の内容紹介の後、三人の特定質問者の方々によるそれぞれの持ち味を生かした質問がなされ(詳細は以下参照)、その後で、それらの質問に生方氏がひとつずつ答えるという仕方で行なわれたが、司会の不手際もあり、議論を深めるだけの時間が足りなかった点が何としても惜しまれる。が、いずれにしても、本書のような重厚な内容を備えた書については、短い時間で論評するということは到底不可能であるのだから、今後も本書に関する議論を継続する新たな機会が見出されることを切に希望する。


著者による要約紹介(発表者 生方淳子) 発表資料のPDF版 https://bit.ly/3r6jwgh
 まず反省点だが、500頁近い内容を1時間にまとめようとしたものの、簡略化しきれず大幅に予定を超過してしまった。そのため、3人の特定質問者とのやり取りが十分にできず、他の参加者の方々から意見を聴く時間もなくなり、残念であったし申し訳なかった。
 発表の流れとしては、まず執筆の動機と経緯に簡単に触れた後、「レジスタンス」というキーワードの複数の意味に沿って本書の骨子を紹介した。すなわち、ミシェル・コンタの「『存在と無』は対独レジスタンスの書だ」という読みを出発点とし、それを発展させて、第二次世界大戦下で書かれたこの著書がいかにナチズムに対して真逆の人間観を突きつけ「存在論的平等」の概念を打ち出した哲学と言えるかを探ったということ、同時にこの意識の学がいかにカント、ヘーゲル、フッサール、ハイデガーへの挑戦でありそれらの換骨奪胎となっているかを具体的に検証したということ、これらを断片的ながら可能な範囲で説明した。その上でサルトル哲学は自らの時代社会に向き合い戦う哲学でもあると主張し、21世紀の今、世界を脅かす幾多の問題と自由な意識を脅かすドクサを前にこの哲学が私たちにいかなるレジスタンスの可能性を開いてくれるかという問いを改めて投げかけた。
 特定質問者の齋藤元紀氏からは、ドイツ哲学およびレヴィナスとの関わりで筆者が力及ばなかった点や疑問が残っていた点について意義深いご教示を頂いた。「運動」概念や時間論の扱いが不十分だったことに気づかされたほか、取り上げなかったsubjectivité 概念についても氏の質問を受け、無視できない多義的な揺れがあることをその後確認できた。
 根木昭英氏からは、カント的規範性、authenticité、回心そして死をめぐって、著書で論じ尽せなかった点について発展的考察を提示して頂いた。特に「死よりも拷問に耐えられるかどうかがより深刻だった」という指摘は正鵠を射ており、より踏み込んで論じるべきだったと思う。
 永野潤氏からは、終章で「革命的暴力」の問題に関連し、サリドマイド児殺害事件に関するサルトルの考察に触れたことについて、それらを同一線上には置けないとの指摘を受けた。大義による「正当化」と可知性の追求による「理解」を区別する目的で補足的に言及したのだが、障害児への暴力という問題はたしかに戦争や革命における暴力とは異質の問題である。論じるなら稿を改め別の文脈で真正面から扱うべきだろう。
 以上、三人の方々からの貴重なご指摘を確と受け止め、より深めて次の仕事につなげたい。


特定質問1 サルトル『存在と無』におけるハイデガーとの対決(齋藤元紀)
 本書は、ミシェル・コンタの洞察を引き受けつつ、サルトルの「意識の現象学」を「レジスタンス」として捉え、『存在と無』ならびにその成立過程におけるヘーゲル、フッサール、ハイデガーとの関連を緻密に考察している。評者は、とくにサルトルとハイデガーとの関係の考察に焦点をあて、以下四つの疑問点を提起した。
 第一は、意識と現存在の関係である。第三部第一章の指摘のとおり、サルトルはレヴィナスとコルバンからの強い影響下で「フッサールとハイデガーの連続性」を引き受けたが、レヴィナスはこの連続性のうちに「活動性」概念の拡張と移行を見てとってもいた。サルトルも「《中に-存在する》」ことに「運動」の意味を見いだしたと本書は指摘しているが (306頁)、その内実はどのようなものか。
 第二は、意識の主体性の身分である。本書では、サルトルが意識と現存在の間に「交換可能な要素」を見いだすのみならず、現存在の了解における意識の欠如を批判し、了解を意識へと置き換えるという「二面作戦」を講じたことが見事に究明されている(320、376頁)。ところが他方、こうした交換可能性を認めるとすれば、現存在にはなお「意識」ないし「主体性」の概念が残存していることになるが、翻って、たとえ「非定立的」とされるにせよ、サルトルの「意識」にもなお「主体性」の概念が残存していると考えられることになる。この場合の主体性は、いかなる身分を有しているのか。
 第三は、即自に対する本質直観の意義である。本書は、サルトルが人間以外の存在を即自へと狭め、「環境や多様な生命」への責任を不問とした点を批判しつつ、その克服の可能性を探っている(453-456頁)。後期ハイデガーの技術批判とも一脈通じる優れた洞察といってよいが、そのさい「即自を本質直観によって捉え直」す (454頁) という場合の「本質直観」はどのような役割において考えられているのか。
 第四は、時間性の重心の相違である。ハイデガーの時間論が将来に優位を置くのに対して、サルトルは現在を強調している。双方ともに、時間の脱自性とその統一を理論化している点では同一と言えるが(389頁)、『存在と時間』以降ハイデガーは、「現在」をさらに批判的に問題化していく方向性へ進んだ。サルトルは現在を強調することで、そこにいかなる含意を込めたのか。


特定質問2(根木昭英)
 根木よりは、おもに以下五点について質問させていただいた。1)サルトルの60年代モラル論草稿でカントの言葉として頻出するようになる« tu dois, donc tu peux. »は、実際にはシラーによるパラフレーズが一般化したものであるようだ。ここでのカント受容について、本書の間テクスト的アプローチからなにか見通しがあればお聞きしたい。2)本書では、サルトルの「真正さ(authenticité)」が、非本来的想念に捉われた具体的人間をも包摂するモラルとして、ハイデガーの「本来性(Eigentlichkeit)」が持つある種の貴族主義に対置される。しかし、「回心(conversion)」を前提するサルトル的「真正さ」も、やはり同様の傾向を共有しているとは言えないだろうか。3)コンタ氏の講演は、戦時中のサルトルの振る舞いをめぐる論争の渦中で書かれた反論という側面も強いのではないかと思うが、その点について補足的なコメントがあればお願いしたい。4)本書では、「死」をめぐるサルトルの思索が、死の恐怖のただなかにおいて「死へと向き合う存在」を拒絶する、抵抗への誓いとして取り出される。一方、サルトルはレジスタンスについて語るさい、「死」ならぬ「拷問」の恐怖についても語っているように思うが、その点をどう位置付けるべきだろうか。5)『弁証法的理性批判』などを中心に研究を進めて来られた氏が、遺稿などのコーパス拡大のなかで、とりわけ『存在と無』へと遡ろうと考えられた理由について伺いたい。
 質疑については時間の制約も大きかったが、とくにカント受容やauthenticitéの解釈について議論となり、カント的規範性に対するサルトルの両義的態度が確認されたほか、authenticitéについても、「特異的普遍」やサルトルのエクリチュールの多様性といった観点から議論が深められた。あらためて最初の主著に立ち返る必要性を感じたという氏の言葉も印象的であった。振り返ると、評者の質問は、本書の考察そのものからはやや外れた事項に関わるものも多く、噛み合った議論を発展させにくいものであったかもしれない。これはひとえに、本書の内的な論理に正面から切り込むことが容易でなかったためで、準備にあたっては、氏の調査の緻密性、論証の堅牢性を痛感した次第であった。


特定質問3(永野潤)
 『戦場の哲学』終章「戦争と存在論」で、生方氏は、サルトルの暴力論は「暴力に訴えることへと追い詰められた意識への問い」である、と言う。暴力を「人間らしく生きることの不可能という否定的状況にあってその否定を否定すべく炸裂する」ものと考えるサルトルは、暴力を非合理な絶対悪として排除するのでもなく、逆に「正当化」するのでもなく、暴力が繰り返されないために「理解」しようとする。そうしたサルトルの「暴力論」の一例として、本書では、1964年のローマ講演でのサリドマイド児殺害事件についての記述が取り上げられている。サルトルによると、この行為に既存の法や倫理的規範への単純な違反を当てはめるべきではない。生方氏が言うように、サルトルは殺害を「正当化」しているわけではないが、彼はこの行為を、薬禍を生み出す非人間的制度の否定、「実践的惰性態に対する実践の闘い」として考えるのである。しかし、質問者は、サリドマイド児の例が、サルトルの「全体的人間の倫理」の例として適切な役割をはたしているのだろうか、という疑問を持った。
 サルトルの議論には、70年代、80年代以降の障害者運動が踏まえられていないこともあるが、限界があるのではないだろうか。まず、子どもを殺した母親たちの暴力に着目するサルトルの議論は、殺される「障害者の」視点が欠けている。70年代、日本では、脳性麻痺者の団体「青い芝の会」が、重度障害のある子どもを殺した母親に対する減刑嘆願運動に反対したが、彼らは、母親の行為を既存の法や倫理的規範によって批判したのではない。彼らの運動は、自分たちを人間以下のものとして否定しようとする「健全者文明」に対するラディカルな闘争であった。ところでサルトルは、ダウン症児殺害など「自然的」なケースについては障害児殺害を「ブルジョア個人主義」として批判しているのだが、サリドマイド児殺害は「反自然」のケースとして区別して考える。しかし、この「自然」と「反自然」の区別は問題がある。そのことは例えば脳性麻痺当事者の堤愛子が、反原発運動が内包する障害者差別を批判する中で指摘している。
 一方、70年代のウーマン・リブ運動の中で、田中美津は、母親の子殺しの暴力を、ブルジョアジーのための労働力の再生産を担わされ、自らの〈生〉を生ききらせない女が、最も手近な矛盾物としての子どもを殺すという「被抑圧者の極限の自己表現」だった、と言った。この視点もまた、64年講演のサルトルには欠けている。70年代、障害者と女性たちは、対立しつつも、同じく否定的状況にあってその否定を否定すべく闘い、豊かな論争を繰り広げていた。しかし、サルトルが知らなかったこれらの運動と論争は、サルトルの暴力の思想によって読み解くことができるのであり、その意味で、そこに「可能性としてのサルトル」を見て取ることもまたできるのではないか、と質問者は考えた。


以上

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