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日本サルトル学会会報第69号 [会報]

研究例会のご案内

 下記の通り、第48回研究例会を対面ハイフレックス(=ハイブリッド)で開催しますのでご連絡いたします。
 次回の研究例会は、中村督氏(南山大学)による研究発表を予定しております。
 登録フォームを用意しましたので、参加ご希望の方は下記 URL より12月17日(金)21:00(日本時間)までにご登録をお願いいたします。
 当学会では非会員の方の聴講を歓迎いたします(無料)。多くの方のご参加をお待ちしております。

第48回研究例会

日時:2021年12月18日(土) 16 :00 ~ 17 :30
場所: 対面ハイフレックス(=ハイブリッド)開催
   立教大学池袋キャンパス A 202 教室
※フランスからの参加も想定し、午後遅くからの開催となっております。ご注意ください。

【プログラム】
16:00 冒頭挨拶
16:05 研究発表:中村 督(南山大学)
「戦後フランスにおける知識人史の再検討—『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』におけるサルトルの位置と機能について」
司会:  竹本 研史(法政大学)

全体討論

17:30 休憩
17:40  近況報告・情報交換会

※会員の方で、対面で参加をご希望の方は澤田直代表理事までメールにてご連絡ください(今回は、勝手ながら対面の対象を会員に限らせていただきます)。会員の方には会員向けのMLで別途連絡をいたします。

※今回は、対面ハイフレックス(=ハイブリッド)開催のため懇親会は行いませんが、総会終了後に、zoom上で簡単な近況報告および情報交換の場を設ける予定です。
参加登録フォーム URL :https://forms.gle/TtsPWB3a11PVegci7
QR_077835.png


※zoom開催に関する細かな注意は、こちらのフォームにてお知らせします。なおこのURLはサルトル学会のブログにも掲示いたします。そちらもご利用ください。


戦後フランスにおける知識人史の再検討—『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』におけるサルトルの位置と機能について

中村 督

 本報告の目的は、『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』(以下『N.O.』と略記)においてサルトルがどのような役割を果たしてきたのかを考察することにある。1964年に創刊された『N.O.』は、フランスの代表的なニューズマガジンであり、長いあいだ「知識人の雑誌」として知られてきた。実際、創刊当初から『N.O.』は、多くの作家、哲学者、大学人らを結集させ、文字どおり「知識人の雑誌」になっていった。しかし、『N.O.』の歴史を振り返ると、サルトルはほかの知識人とは異なって特別な位置を占めていたことがわかる。本報告では、『N.O.』におけるこうしたサルトルの位置がどのように形成され、同誌の理念や方針に影響を及ぼしたのかを明らかにする。そのために具体的には以下を検討したい。
 第一は、サルトルが『N.O.』に創刊号以来、定期的に記事を寄稿してきたことの意義である。1960年代後半から1970年代にかけて、『N.O.』の中核を成す知識人(フランソワ・フュレ、ジャック・オズーフ、エドガール・モランら)を別にすれば、サルトルは多くの記事を掲載し、繰り返し表紙を飾った。この点を受けて、従来の研究では、『N.O.』はサルトルの緊急の発言をするときの場として好都合であったことが強調されてきた。他方、『N.O.』の側に視点を移すと、同誌の理念の表明から読者の獲得に至るまで、サルトルほど格好の人物はおらず、そのかぎりにおいては同誌がこの知識人を利用したという側面も無視することはできない。別言すれば、知識人とジャーナリズム、どちらかが優位な立場にあるわけではなく、両者の関係は一蓮托生であったと考えられる。
 第二に、サルトルの記事が『N.O.』の歴史にとって重要な局面で掲載されたことの作用である。たとえば、創刊号(「アリバイ」)や68年5月(「レイモン・アロンの城塞」、「1968年5月の新しい思想」)などは同誌の歴史が語れるときにかならず言及されるものである。また、同誌のサルトルの記事は、文化史的・社会史的文脈のなかでも俎上に載せられることが多く、結果的に同誌内部でこの知識人の集合的記憶が形成されていったことを指摘したい。
 第三は、上記と関連して、こうして『N.O.』で形成されたサルトルをめぐる集合的記憶が同誌に及ぼした影響である。1980年代以降、サルトルが亡くなり、知識人の終焉という言説が流布することで『N.O.』の「知識人の雑誌」という創刊の理念も揺らぐことになった。同誌は新たな理念を模索した結果、結局、当初の理念に立ち返ることになるが、そのさいに再びサルトルが重要な機能を果たすことになる。
 本報告では、最終的に、こうしたサルトルと『N.O.』の関係を考慮することで、知識人史の展開を逆照射する。知識人史の文脈では、一般的にいって1970年代にすでに「サルトルからフーコーへ」という変化が生じていたことが指摘されている(『N.O.』もまたその名のとおりの論集を出版している)。しかしながら、『N.O.』が再び創刊の理念を参照し、「知識人の雑誌」として再規定するのに重要な役割を演じたのはピエール・ブルデューであった。『N.O.』の歴史を踏まえれば、「サルトルからフーコーへ」という図式と同時に「サルトルからブルデューへ」という図式も成立しうることを提示したい。



2021年度国際サルトル学会年次大会(Le colloque annuel du Groupe d'Etudes sartriennes 2021)参加報告

関大聡

 2020年6月の国際サルトル学会はコロナウイルスによる感染拡大のために延期を繰り返し、結局2021年9月24日、25日に開催されることになった。オンライン、対面を両立したハイブリッド式の開催でもよかったのではないかと思うが、一名の発表がアメリカからオンラインで行なわれたのを除けば、従来通りの形式を尊重した形になる。結果として、事前予告された発表のうち二名(A. MatamatsashviliとJ. Ireland)の発表がとりやめになったのは、残念であるとともに、世界的に見ると依然として感染状況が予断を許さず、移動の不自由を強いられていることを確認させる。

 筆者は2017年度以降、毎年この大会に参加しており、参加報告を何度か上梓している(2018年(https://ajes.blog.so-net.ne.jp/2018-09-10)、2019年(https://ajes.blog.ss-blog.jp/2019-10-24)。2017年(https://ajes.blog.ss-blog.jp/2017-07-29)の報告は赤阪辰太郎氏による)。例年に比べると、(これもコロナの影響だが)参加者の数はやや少なかった印象がある。発表の統一テーマは複数あり、「サルトルの美学」、「サルトルと言語についてのアトリエ:パフォーマティヴ性、弁証法、構造」、「『自由への道』をめぐって」の三つと、その他自由発表にまとめられた。なお、この発表の枠組みはコロナウイルスの感染拡大前から決められていた。「サルトルと感染症」、「サルトルとロックダウン(コンフィヌマン)」、または「サルトル、眼差しと恥とマスク」みたいなテーマで話すひとがいてもよかったかもしれず、話を聞いてみると個人的に取り組んでいたひともいたようだが、学会は良くも悪くも平常運転で進められた。

 以下では、とくに興味をもったものを中心に発表内容を紹介したい(プログラムの全貌については学会HPのpdfを参照(http://ges-sartre.fr/pdf/Programme%20Colloque%20GES%2024%20et%2025%20sept%202021.pdf))。

 まず、一日目(9月24日)の午前中の「サルトルの美学」では、ふたつの発表が行なわれた。ソルボンヌ大学博士課程所属のジョルジア・テスタは、マラルメを読むサルトル/デリダに関する博士論文を準備中で、「不在の美学:マラルメの場合」というタイトルで発表した。サルトルの想像力論における「不在」の論点と、マラルメ論における「不在」の主題が結ばれた。興味深かったのは、サルトルとマラルメの間には、主題的に見てだけでなく、エクリチュールのレベルでも結びつきがあるのではないかという結論部での指摘で、あくまで示唆に留まるものだが、今後博士論文のなかでどのように展開されるか、期待をもって聞いていた。
 次の発表はハイナー・ヴィットマンによるもの。氏にはサルトルの美学に関するドイツ語の著作が複数あり、そのうち一点は『サルトルの美学』(ラルマタン、2001年)という題で仏訳されている。発表内容は1927年のイメージ論における空間の位置づけなどを手掛かりに、サルトルの美学の原点を探り、そこからティントレット論などでの空間性への着目を再解釈するものであった。1927年のイメージ論は、最近刊行されたばかりのテクストで、初期のサルトルの思索の出発点を示すものとして、多くの研究者の注目を集めている。私もそれを紹介する論文を一点日本語訳したことがあるので、よければ参照していただければと思う(ヴァンサン・ド・コールビテール「イメージ、身体と精神の間で サルトルの高等教育修了論文(https://resonances.jp/11/le-memoire-de-sartre/)」)。

 次に午後の発表だが、こちらは自由発表枠である。まずグレゴリー・コルマンが戯曲『墓場なき死者』と『恭しき娼婦』を扱った。1946年に初演されたこの二つの戯曲を手掛かりに、実存主義運動の最初期を再構成しようとする試みと言えるもので、すぐには呑み込むのが難しいほど豊かなものであった。ジャン・ヴァールによる劇評や、リュシアン・ゴルドマンによるサルトル演劇への批判などを取り上げながら、メルロ=ポンティやボーヴォワールも当時直面していたレジスタンスやヒロイズム、モラル、共同体の問いをそこに読みとろうとする氏の企てはここにまとめきれるものではない。これらの劇が、極限状況(situation-limite)における人間を問うだけでなく、実存主義そのものも極限にまで追いやる劇だった、という発表者によるまとめを紹介するに留めておきたい。
 ふたつ目の発表はクレモンティーヌ・フォール=ベレーシュによるもの(オンライン発表)。サルトルの父方と母方がカトリック、プロテスタントに分かれていることは自伝『言葉』などでも語られているとおりだが、その二つの傾向を作家における内的な緊張として追いかけるのが趣旨だと受け取った。同種の緊張を生きた先達としてジッドを取り上げることまで含め、私自身の関心にかなり類似しているので内心焦ったが、ともかく優れた発表であった。サルトル自身は無神論だが、この点との整合性をどう受け取るのかという会場からの問いについては、二十世紀初期(とくに20-30年代)の人々にとって、宗教は多くの場合、信仰の問題というよりも態度、主体性の構造の問題なのだと応答していたのは、非常に示唆的なものだと思われた。
 最後にピエール・リローによる、サルトルとパスカルの関係についての発表。発表者はパスカルが専門だが、サルトルの『青年期著作集』のパスカルへの言及から、『言葉』の初期テクストである『土地なしジャン』まで、マイナーな参照にもあたりながら、表面的な議論(実存主義の先駆者パスカル……)に留まらぬ見事な議論を展開しており、圧倒された。『土地なしジャン』が『言葉』になるに伴い、パスカルへの参照は薄まるそうだが、サルトル的文体とはまさにパスカル的文体なのだという著者の結論にも思わず頷かされるものがあった。

 二日目の午前は「サルトルと言語についてのアトリエ:パフォーマティヴ性、弁証法、構造」。このアトリエには筆者も参加させていただいた。出発点は2019年秋にリエージュで開催された会合で、若手の研究者の間で共通のテーマを設定し、議論と交流の場にしようというアイデアからだった。言語の問題をテーマにしたのは、各人が自分の関心から取り組める程度に開かれたテーマで、かつこの問題が複数の水準(サルトルの言語論、サルトルの言語実践、言語を介したサルトルの思考)に及ぶためである。やはりコロナの影響もあり、また発表者が世界各地に散らばっていたため、その後の会合は難航し、オンラインで各自の発表を検討しながら、苦心しつつ進められた。しかし、結果としてはかなり充実した、熱気の伝わるアトリエになったのではないかと思う。各人の発表時間は15分で、通常の発表時間より短く、関心の要諦しか伝えることはできなかったとはいえ、互いの発表を参照し合いながら、全体としてひとつの、たとえ網羅的ではなくとも、それこそ弁証法的に全体化を目指すような試みとなった。
 非常に短くだが、各人のテーマを掲げておこう。筆者(関)の発表では、『存在と無』の言語論を中心に、サルトルとジャン・ポーランの対比、また両者の共通した関心としての「言葉の力」の問題が扱われた。エステル・ドゥムーランは、サルトルと構造主義の間の論争(ポレミック)を再訪した。トマ・ボルマンはフローベール論『家の馬鹿息子』にフーコー(「ブルジョワジーがマルクスに対して築いた最後の防波堤」)への批判を見出した。クセノフォン・テネザキスは『弁証法的理性批判』における言語の地位を、同書における実践と惰性のめぐりあう場として描いた。アレクサンドル・フェロンは同じく『批判』を扱いながら、むしろそのエクリチュールの側面を扱い、長々しい文章で構成される同書を読むという経験そのものが弁証法的な経験なのだと指摘した。アリックス・ブファールは『批判』で扱われる言語経験として、「指令語mot d’ordre」と「スローガンslogan」の違いに注目し、いずれも集団の形成とその実践に関わるものでありながら、前者はより実践に、後者はより惰性に接近したものだという違いをまとめた。フェルナンダ・アルトは植民地支配における言語の問題を、サルトルとファノンの言語論を通して検討した。サルトル自身もまた植民地主義的心性を逃れるものではなく、またその点の自覚を通してしか克服はありえないだろう。
 若手で、各方面で活躍する面々との共同作業には、教えられるものが多かった。このワークショップの成果は本になるかもしれないので、あらためて全容をみなさんの前にお披露目する日が来ることを期待している。

 二日目午後、最後のテーマは「『自由への道』をめぐって」である。エレーヌ・バティ=ドラランドはドリュ・ラ・ロシェルやマルタン・デュ・ガールのような、今日ではあまり日の目の当たらない二十世紀前半の作家の再評価を行なっていて、今回の発表ではポール・ニザンとの友愛という観点から『自由への道』を再読した。同書のとりわけ第一巻『分別ざかり』、第二巻『猶予』は、ニザンとの友情だけでなく三十年代という時代に対する喪として読めるというのが発表の趣旨だったと思うが、澤田直氏の「小説家サルトル──全体化と廃墟としてのロマン」(『サルトル読本』所収)もなんとなく思い返しながら、小説の世界に入り込むことができた。
 次はジャック・ルカルムの発表で、『自由への道』の未完成性について。この老大家にはすでに同じテーマをめぐる重要な論考が存在するが、今回のタイトルはほとんど騙し絵のようなもので、氏が関心をもった対独協力問題(サルトルもその嫌疑をかけられた)や、同性愛の主題など、何にも制約されない自由な調子で話を繰り述べていた。テーマだけでなく時間的にも自由な発表だったため、不機嫌そうな次の発表者との間で板挟みにされた司会のアレクシ・シャボーの苦悶の表情が不憫でならなかったが、フランス語なら“causerie”と呼ぶような、氏のいわゆる四方山話は、いつものことながら筆者は好きである。
 最後の発表はジャン=フランソワ・ルエットによる『自由への道』の同時代受容についてのサーベイ。氏は最新の『サルトル研究』誌で『壁』の同時代受容についても調査しており、近年の関心はこの方面に向かっているらしい。新聞や雑誌などに発表された『自由への道』への反応には、大別すると五つの論点があると氏は言う。(1)サルトルのキャリアにおける位置づけ、(2)哲学と小説の関係、(3)登場人物の取り扱い、(4)同時性の技法、(5)言語実践。このうち、(2)、(3)、(5)を発表のなかでは扱い、当時の批評家や読書人が『自由への道』という巨大な著作にどう向き合ったのかを見事にまとめてみせた。

 来年のテーマは「サルトルとインターセクショナリティ」と「『家の馬鹿息子』」のふたつになるという。そのときまでには平常に戻った仕方で、とりわけ国外からの発表者を受け入れることができればよいと思う。日本からも発表者が参加してくれることをとても期待しています。(文責:関大聡)

サルトル関連文献

*著作
・ジャン‐ポール・サルトル『家の馬鹿息子 5 ギュスターヴ・フローベール論(1821年より1857年まで) 』 鈴木道彦・海老坂武(監訳)、黒川学・坂井由加里・澤田直訳、人文書院、2021年[12月刊行予定]。
・『竹内芳郎著作集』第1巻[サルトル哲学序説、実存的自由の冒険]閏月社、2021年。
・永井玲衣『水中の哲学者たち』晶文社、2021年。
・上野千鶴子『 NHK 100分 de 名著:ボーヴォワール『老い』』、NHK 出版、2021年。

サルトル関係イベント

第32回獨協国際フォーラム「アルベール・カミュ:生きることへの愛」開催のお知らせ
 12月3日(金)、4日(土)の2日間、第32回獨協インターナショナル・フォーラム「アルベール・カミュ:生きることへの愛」がオンライン開催されます(参加無料・要事前申込)。
詳細は以下のサイトをご覧ください。
https://www2.dokkyo.ac.jp/fre/camus/


理事会からのお知らせ

・日本サルトル学会では、研究発表・ワークショップ企画を随時募集しています。発表をご希望の方は、下記のメールアドレスにご連絡下さい。なお例会は例年7月と12月に開催しています。
・会報が住所違いで返送されてくるケースが増えています。会員の方で住所、メールアドレスが変更になった方は、学会事務局までご連絡ください。なお、会報はメールでもお送りしています。会報の郵送停止を希望される方は、事務局までご連絡ください。
以上


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