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日本サルトル学会会報第65号 [会報]

研究例会のご案内
 第46回研究例会を下記の通り、zoom を利用してオンラインで開催しますのでご連絡いたします。
 次回の研究例会では、本年(2020年)に講談社学術文庫より日本語訳が刊行された『イマジネール』をめぐってミニ・シンポジウムが行われます。
 登録フォームを用意致しましたので、参加ご希望の方は下記URLよりご登録をお願い致します。
当学会では非会員の方の聴講を歓迎いたします(無料)。多くの方のご参加をお待ちしております。

第46回研究例会
日時:2020年12月19日(土) 16 :00~  
※フランスからの参加も想定し、夕方からの開催となっております。ご注意ください。

【プログラム】
16:00 冒頭挨拶
16:05 ミニ・シンポジウム「『イマジネール』をめぐって」
趣旨説明
澤田直(立教大学)「サルトルのイメージ論:想像界と現実界 その境界はあるのか」
水野浩二(札幌国際大学)「イメージは本当に貧しいのか」
関大聡(東京大学大学院)「思考、言語、イメージ――サルトルの高等教育修了論文(1927)とその指導教官アンリ・ドラクロワ」
全体討論
17:50 休憩
18:00 総会
18:45 近況報告・情報交換会
※今回はオンライン開催のため懇親会は行いませんが、総会終了後に、zoom上で簡単な近況報告および情報交換の場を設ける予定です。

参加登録フォームURL  https://forms.gle/RF92Baz9B2qRHq8S8 
※zoom開催に関する細かな注意は、こちらのフォームにてお知らせします。

  ミニ・シンポジウム「『イマジネール』をめぐって」

 2020年は、サルトルの『イマジネール』が刊行されて70年の節目にあたり、今年5月にはその新訳が刊行された。この機会に、フランスの20世紀のイメージ論においてきわめて重要な位置を占めるこの著作の意義を検討することにしたい。

 澤田の発表は、『イマジネール』の思想史的位置を確認した後に、その基本的な原理である、イメージと知覚の二分法について考察する。サルトルにとって想像的な意識と知覚的意識は截然と区別されるが、はたして想像界と現実界に明瞭な境界はあるのか。脱現実化としてのイメージの問題がもつアクチュアルな意味を考えてみたい。
 水野の発表は、『イマジネール』のなかで、サルトルが頻繁に語るイメージの「本質的貧しさ」について考察する。1.なぜイメージは本質的に貧しいのか、2.イメージは本当に貧しいのか、3.サルトルのイメージ論とプラトン主義、という流れでおこなう。
 関の発表は、サルトルの高等教育修了論文「心的生におけるイメージ」(1927)を扱う。その全貌を紹介することはできないが、「思考とイメージ、言語の関係」を主題に選ぶことで、当時のサルトルの関心の重要な部分に触れてみたい。またこの主題は、論文の指導教官であるアンリ・ドラクロワとの関係、とりわけその著書『思考と言語』の影響を考えることに私たちを導く。そこから現象学以前の若きサルトルを、当時の学問的土壌に置き直すことができるだろう。

研究例会のご報告
 第45回研究例会を下記の通り、オンラインで開催しましたのでご報告いたします。
 今回の研究例会では、小林成彬氏による研究発表が行われました。以下、報告文を掲載いたします。

第45回研究例会
日時:2020年10月11日(日) 16 :00~
場所:zoom によるオンライン開催

研究発表
発表者:⼩林成彬(⼀橋⼤学) 
「ティントレットの物語──サルトルとランシエールから」
司会:森功次(大妻女子大学)

 コロナ禍の中、サルトル学会初のオンライン開催となった本例会で、小林氏は、ランシエールが1983年に出版した『哲学者とその貧者たち』に収められたサルトル論を検討しつつ、両者の政治思想と芸術観を比較しました。
 まず冒頭で小林氏は、『アルチュセールの教え』やロングインタビュー『平等の方法』の中でランシエールがサルトルに言及している箇所をいくつか引用しつつ、両者の間に影響関係があることを指摘し、とりわけ両者の間にはフローベールという重要な共通主題があったのではないか、と示唆しました。
 次に小林氏は『哲学者とその貧者たち』の分析に進みます。小林氏は、プラトンやサルトルの労働者(靴職人)観をランシエールがどのようにまとめているかを分析し、そこで労働者が〈疲労のために思考できない存在〉として位置づけられていることを指摘します。ランシエールはそのように労働者を見下す哲学者の視線を批判するわけですが、小林氏は哲学者と労働者の関係をさらに踏み込んで考察するために、<労働者―哲学者―X>という分析枠組みを導入します。小林氏は、そのXに〈党〉や〈加工済み物質〉〈芸術家〉などの要素を導入し、その関係を検討することで、各思想家の哲学者観、労働者観を明らかにしていきました。とりわけその分析の軸となっているのが、労働者が高みから見下されていないか、疲労によって無力化されていないか、といった基準です。小林氏はサルトルのラプージャード論を引きながら、そこでラプージャードが群衆を高みから見下さない画家として評価されている点を指摘しました。
 発表の第3節で小林氏は、サルトルとランシエールを結びつける重要なファクターとして、画家ティントレットを取り上げました。サルトルもランシエールも、ともにティントレットを「労働者的」な画家として扱っているのですが、ランシエールはサルトルのティントレット論にある種の違和感を指摘していました。哲学者サルトルにとって、労働者ティントレットの偉業は認めがたいものではなかったか、とランシエールは示唆していたわけです。小林氏は、ここにランシエールの不理解があると指摘します。サルトルは労働者的存在であるティントレットにも能動性や創造性を認めており、その能力は「自分の分身を作る」という表現からも示されているというわけです。
 最後に小林氏は、フローベール論とティントレット論に共通して見られるサルトルの「モダニティ」を指摘しつつ、モダンの思想家としてサルトルを再評価できないか、という提案を行いました。小林氏は『家の馬鹿息子』を、サルトル的モダニティを示す著作して読み解くことで新たなサルトル像を提案できるのではないかと示唆し、発表を閉じました。
 質疑では、ティントレットが生きた16世紀の職人的画家という存在が現代的な「労働者」「芸術家」といった概念と整合するのか、また、ランシエールのサルトル批判は適切か、といった議論が行われました。
今回の例会はオンライン開催となりましたが、質疑は通常と同等以上に活発に行われていましたし、フランスからの参加も可能となるなどメリットも多数ありました。今回の例会の成功は、今後の学会の開催方法を考える上でも非常に示唆的なものであったことを指摘し、本報告を閉じたいと思います。
(森功次)


サルトル関連文献
・生方淳子著、ミシェル・コンタ序『戦場の哲学——『存在と無』に見るサルトルのレジスタンス」、法政大学出版局、2020年。
・ヴァンサン・ド・コールビテール「イメージ、身体と精神の間で――サルトルの高等教育修了論文」関大聡訳、『Résonances ――東京大学大学院総合文化研究科フランス語系オンラインジャーナル』、2020年[原著は2019年](https://resonances.jp/11/le-memoire-de-sartre/)。

理事会からのお知らせ
・日本サルトル学会では、研究発表・ワークショップ企画を随時募集しています。発表をご希望の方は、下記のメールアドレスにご連絡下さい。なお例会は例年7月と12月に開催しています。
・会報が住所違いで返送されてくるケースが増えています。会員の方で住所、メールアドレスが変更になった方は、学会事務局までご連絡ください。なお、会報はメールでもお送りしています。会報の郵送停止を希望される方は、事務局までご連絡ください。
・役員の改選について。役員の任期の2年が過ぎましたので、本年度の総会にて役員の改選が行われ、承認されました。
会長:鈴木道彦(留任)
代表理事:澤田直(留任)
理事: 生方淳子、岡村雅史、黒川学、鈴木正道、永野潤、水野浩二、翠川博之、森功次(すべて留任)、竹本研史(新任)
会計監査:根木昭英(留任)、赤阪辰太郎(新任)

学術会議人事に関する声明について
 今回の学術会議人事をめぐる政府の介入は、学問の自由に関するきわめて危険な状況であり、われわれの学会としても黙しているべきではないとの考えから、理事会有志で以下のような声明を発表しました。
「今回の日本学術会議人事にかんする菅政権の政治的介入に強く反対する」
https://ajes.blog.ss-blog.jp/2020-11-01
 たいへん簡潔なものですが、会員のなかにはさまざまお考えがあると思われますので、重要な一点に絞ることにしました。
 会員のみなさまの中で、この声明に賛同される方は、以下のフォームにお名前をお書きいただくか、ajesoffice@gmail.comまでメールでお知らせ下さい(本文に、お名前と、ブログでのお名前の公表の可否をお書き下さい)。
https://forms.gle/5Sk7YSWvAYyxyBd18
代表理事 澤田直

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