SSブログ

第43回研究例会「サルトルとアルジェリア戦争:アルジェリア側の視点からの再考」要旨 [研究例会のお知らせ]

2019年7月13日(土)14 :00~の第43回研究例会
https://ajes.blog.so-net.ne.jp/2019-06-02

茨木博史(在アルジェリア大使館)
「サルトルとアルジェリア戦争:アルジェリア側の視点からの再考」
司会:竹本研史(法政大学)

要旨
サルトルがアルジェリアの植民地問題について発言するようになるのは、1950年代に入ってからのことである。1954年に勃発したアルジェリア戦争にサルトル自身がコミットしていく前に、彼の主宰する『現代』誌は既に反植民地主義の立場を明確に打ち出していた。1953年1月には、後にアルジェリア共和国臨時政府の首班となるフェラト・アバースが率いるレピュブリック・アルジェリエンヌ紙にサルトルのインタビューが掲載される。この中で彼は、「コロン」の人種主義がフランス本国にも有害なものであり、植民地の問題はフランスの民主主義のそれと分かちがたく結びついているという見方を示している(1) 。1956年に発表された「植民地主義はシステムである」においては「良いコロンと悪いコロンがいるのではない。コロンがいる、それがすべてだ」と喝破したうえで、アルジェリア人と本国のフランス人の双方を植民地主義の専制から解放しなければならないと説いた (2)。サルトルが用いる「コロン」の概念は粗雑な面があるものの、「コロン」による被植民者の非人間化、本国の人権や民主主義の原理の植民地での否定という図式に基づき、フランス軍による拷問問題についてもフランスを「恥辱」から救わねばならないとした(3) 。
 フランス本国でアルジェリア戦争の遂行に反対する陣営の中心的存在となったサルトルであったが、当時のアルジェリアでは知識人の著作やFLMの機関紙等において、サルトルに対する直接的な反応は、時おり名前が言及される程度でほとんど見られない。アルジェリアでの直接的な反応は少ない原因としては、ラムシが指摘するようにサルトルの言論が本国のフランス人を明確な宛先として書かれていることを(4) 、その一つとして推定できるだろう。他方で、「植民地主義はシステムである」が発表された1956年1月のパリのミーティングでは、アルジェリア人の詩人ジャン・アムルーシュが招かれ、『現代』誌はやはり作家のカテブ・ヤシンや独立後のアルジェリアで教育相を務めるムスタファ・ラシュラフらに度々執筆の場を与えた。また、サルトルの思想、「人間」の概念に影響を受けたフランツ・ファノンはアルジェリア戦争が始まるとFLNのスポークスマンとなり、党の公式言説もしばしばサルトル-ファノン的な色調を帯びることとなる。ファノンの他にも、やはり『現代』誌に執筆し、FLNと密な交流を持ったモーリス・マスチノのような人物もいる。
本発表では、サルトル自身の言論と彼の協力者たちが、アルジェリア戦争期にアルジェリアにもたらした影響とはどのようなものであったか、言説分析の観点及び受容・影響の観点からあらためて検討したい。

(1) La République algérienne, le 9 janvier 1953.
(2) « Colonialisme est un système », Situations, V, p.89-111.
(3)« Une Victoire », Ibid, p.326-340.
(4)Lamouchi, Noureddine, Jean-Paul Sartre et le Tiers monde, L’Harmattan, 1996, p.212-216.


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。