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研究例会のお知らせ(発表梗概) [研究例会のお知らせ]

12月9日の研究例会の発表梗概を公開します。
第40回研究例会
日時:2017年12月9日(土) 14 :00~
場所:関西学院大学、大阪梅田キャンパスK.G.ハブスクエア13階アプローズタワー貸会議室

研究発表
14:00 ~ 15:15 発表者:南コニー(神戸大学非常勤講師) 「サルトルにおけるラッセル法廷とその展開」
 司会:森功次(東京大学/山形大学)
世界で初めて行われた「民衆法廷」は、今年で50周年を迎える。この「民衆法廷」は、1966年にバートランド・ラッセルによって提唱されたことから別名「ラッセル法廷」とも呼ばれ、現在もなお世界各地で開かれている。民衆法廷とは国家や国際機関によって設置されている法廷とは異なり、主催者が公的機関ではないため法的拘束力は伴わないものの、国際的な人道問題が発生している地帯に関する情報を一般に広く知らしめるとともに、問題の所在を明らかにし、現状を糾弾することで和平を促す試みである。1967年に最初に開かれた「ラッセル法廷」は、ジャン=ポール・サルトルを裁判長に迎え、ベトナムに対するアメリカ合衆国の戦争犯罪を裁く目的で第一回をストックホルム、第二回は東京、第三回はデンマークのロスキレで開かれた。本発表では、この裁判において裁判長を務めたサルトルのグローバル・ジャスティスとしてのアンガージュマンに焦点を当てながら、「真理の生成」という思想学的な分析と市民社会におけるモラルの問題からラッセル法廷の意義とその展開について考察する。また、ラッセル法廷で発表された『ジェノサイド』にサルトルの後期思想における「単独的普遍」(l’universel singulier) の概念の展開と発展が見られることを検証、分析しつつ、『生けるキルケゴール』において課題として残されていた最後の問いに対する答えの一つが、この法廷の主催と参加、社会的呼びかけを通して示されたということを証明したい。また同様にこの民衆法廷の開催が、サルトルにおける倫理的課題に答える具現化としてのプロセスであることも、あわせて究明する。尚、社会学的アプローチから、ストックホルム、東京、ロスキレと三都市において開催された法廷の記録、とりわけロスキレ市立図書館所蔵の未公刊資料や証言集をもとにラッセル法廷に関してこれまで知られていなかった事実関係を明らかにするとともに、その同時代的な背景と時代精神をも分析したい。そして、現在もなお開催され続けている民衆法廷の今日的な役割について、サルトルの思想と関連付けつつ論じる予定である。       
南コニー(神戸大学非常勤講師)

15:30 ~ 16:45
発表者:堀田新五郎(奈良県立大学准教授) 「サルトル1952年の政治思想――その主権論的構成について」
 司会:永野潤(首都大学東京ほか(非))
 大戦後サルトルは、レジスタンスという「幸福な時代」の終焉を宣告した。確かに第四共和政の混迷した政治状況は、単独イシューの追求が可能であったレジスタンス期とは異なり、緊迫化する冷戦および激化する民族解放闘争への対応は、左翼・民主主義勢力の分裂を余儀なくしたのである。特に1952年、所謂「サルトル・カミュ論争」によって両者は袂を分かち、また同じ年に『レ・タン・モデルヌ』に掲載されたサルトルの「共産主義者と平和」は、メルロ=ポンティによって「ウルトラ・ボルシェヴィズム」として断罪されることとなった。本報告では、50年代初頭のサルトルが、何故これまでの立場を翻しマルクス主義へと接近したのか、その理由を思想内在的に探求したい。
 その際、本報告では「倫理学から政治思想へ」という視角を取ることとする。サルトルは『存在と無』の末尾で、自身の次の著作として倫理学を約束するが、その企図は結局放棄されることとなった。死後3年を経て膨大な草稿が『倫理学ノート』(執筆1947-8年)として刊行されるが、そこには倫理学という営為の自己矛盾が集約的に表現されているのである。では文学作品の他、サルトルは、倫理学を書く代わりに何を書いたのか。それは、「政治思想」と「評伝」である。多くの時事評論に加えて、「唯物論と革命」(46年)「共産主義者と平和」(52年)等で論じられた政治思想、就中マルクス主義との関係は、大著『弁証法的理性批判』(60年)として結実する。同時にサルトルは、ボードレール、マラルメ、ジュネ等のアンガージュマンを執拗に跡づけ、こちら側の歩みもまた大著『家の馬鹿息子』(ギュスターヴ・フロベール論)を形づくっていった。
 これは何故なのか。何故、倫理学は放棄され、政治思想と評伝が書かれたのか。思うにそれは、サルトル自身が『倫理学ノート』で探求した倫理的要請からである。倫理を裏切らないためには、倫理学を放棄し、政治思想ないし評伝が書かれなければならない。しかもそれらは、極端なボリュームの大著として現れるのである。
 こうした視角の下、本報告は次の3つの問題を考察する。①倫理と倫理学の違いはどこにあるのか。何故倫理学は、政治思想と評伝へと転化すべきなのか。②サルトルの政治思想がマルクス主義によって方向づけられるのは何故か。何故マルクス主義は、我々の時代の乗り越え不可能な哲学なのか。③サルトルの政治思想と評伝が、極端な大著となる理由は何か。そこには何らかの必然性が認められるのか。
 これらの問いを考察することによって、本報告では最後に、サルトル1952年の政治思想を「ウルトラ・ボルシェヴィズム」とする判断の妥当性について考察を加えたい。
堀田新五郎(奈良県立大学准教授)
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